俳優を嫌いになった日

あなたは俳優さんを心の底から嫌いになったことがあるだろうか。

テレビの中の俳優さんであれば、
一度も会ったことのない人であれば、
心の底から嫌いになる、なんてことはないと思う。
生理的に嫌い、顔が嫌い、発言が嫌い、くらいだろうと思う。

会ったことのある…
なんなら、何度も何度も会話したことのある俳優さんなら?

私にとっての推しさん、というのは、
やっぱり夢を見させてくれる存在だったと思う。
それは、恋とかそういうことではなく、
希望とか
未来とか
夢とか
そういうものに近い気がする。

この人が売れていく姿が見たいとか
この人のこういう役が見てみたいとか
そういう類のもの。

今はブログもTwitterもあって
いくらでも本人からの発信もあって
よりそのタレントのキャラクターを掴みやすい世の中になったなぁと思う。

そしてそれが仇になることもある。

推しに対して、
「もし、性格がとっても悪かったら」
「もし、女遊びが激しかったら」
「もし、ファンのことを馬鹿にしていたら」
くらいのこと、多分ちらっと考えたことある人はたくさんいると思う。

そんなの、本当のことはわからない。
だって俳優は友達じゃない。
家族でもない。
恋人でもない。

だから、我々は妄想する。
彼から発せられる言葉
彼の表情
彼の仕草
「きっと彼はこういう人」
と、想像する。

けれども相手は俳優だから。
演じるのが仕事だから。
本当はそれすらも嘘かもしれない、なんてことは
思ったことがあっても、
「実感」はしない。

「そうかも」と想像するだけ。

そして、「悪い想像」というのは
飽くまでも「自分の想像し得る一番最悪な想像」であって、
自分の想定外の「最悪」は誰であっても自分で思いつくことができない。
想定外なのだから。

私はその、想定外の「最悪」を目の当たりにしてしまった。

思いもしなかった。
本当に頭を殴られたくらいの衝撃はあったし、
血の気が引くってこういうことだな、ということもあった。

人を嫌いになるってしんどい。
「嫌い」が1番しんどい。
見ないようにしても見てしまったりする。
「無関心」になれるには、時間が必要だ。
やっと私は最近それができるようになった。
忘れる時間が長くなった。
名前を見ると今でも嫌な気持ちになる。
その気持ちはゼロに近くなっても、きっとなくなりはしない。
きっと許せる日は来ない。

二度と、「俳優さん」の言葉を心から信じることはないと思う。
そうさせたのは彼だから。
だからきっと許せる日は来ない。

すごく悲しいことだと思う。

本人の発する言葉を信じて、
一喜一憂するファンのほうが、
たとえ騙されていたとしても、
幸せなんだと、
幸せだったと、
今は思う。

騙されていると知っていることは賢いことなのかもしれないけど
それが幸せとは限らない。

生身の人を、推すのなら。

騙される能力だって、きっと必要だった。
 

ここまで書いてずっと眠らせていたけど、


そう思っていたけれど、私にも別の、推したい人ができた。
不信感でいっぱいの私は、どれもこれも疑ったけれども、ブログやTwitterも、会って話す内容も、
疑うなんて申し訳ないな、とまで思えるようになった。
もしそれでも巧妙に騙されている可能性はもちろんある。

先程書いたように、「自分の想定する最悪」しか、私達にはできないから、
想定外の最悪を迎えたときどうするかわからない。

だけど1つだけ言えるのは、
彼の演技も
彼の発する言葉も
どれもこれも、私の想像以上の誠実さや、
感謝や、綺麗な言葉が並べられていて。

どんなに、聖人君子を演じてみても、
演じることには限界がある、と思う。
そんな言葉を発せられる人なら、
例え最悪な面があったとしても、
それでも信じるに値する人なのではないかと、今は思う。